海老で鯛を釣る//イラストレーション勉強中(パレットクラブ16期卒)日々の生活をイラストレーションと写真で紹介します。
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2015/08/24 (Mon) 小泉八雲による「虫の研究」

今年の夏は蚊に刺されなかったなぁと思ったら、
連日猛暑だった為に蚊が発生しずらかったようですね。
毎年、蚊に刺されるのが日本の夏の風物のようですが、
夏の風物詩といえば、怪談もそうですね。
私は夏の読書に小泉八雲の『怪談』を読んでいたのですが、
岩波文庫版には「虫の研究」というエッセーが一緒に収録
されており、その中に蚊を題材にしたものがありました。
IMG_2152.jpg 
たまたまこれを読んだ8月20日は「蚊の日」でした。
そうか、この季節はよく刺されるからなぁと納得して
インターネットで検索してみたら、記念日の由来は、
1897年イギリスの細菌学者ロナルド・ロス博士が
蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見したからだそうです。
IMG_20150822_0001_NEW.jpg 
西洋人であるイギリス人にとって蚊は害虫でしかないのですが、
同時代に日本へ訪れたイギリス人ラフカディオ・ハーン(八雲)は、
蚊は日本の文化に根ざした生物だと論じています。
アメリカの新聞社の特派員として日本へやってきたハーンは、
高温多湿の日本の夏に発生する蚊に悩まされ、
防衛策を求めてハワード博士の「モスキート」
という著作を読んだとエッセーに書いています。
 
ハワード博士による撃退法は、蚊が発生する溜まり水の中へ
石油かケロシン油を撒けばいいそうです。
ハーンは自分の生活環境でそれをするのは
不可能だとして実行にはいたっていません。
その理由として、住まいの近くに墓地があり、墓石には
必ず「水溜め」という楕円形のくぼんだ穴が彫ってあり、
その穴には必ず水が溜まっているからだといいます。
雨の多い東京で溜まった水が乾くことはほとんどありません。
そしてお盆には花がたくさん供えられるわけだから、
その水の中から蚊が大量発生するわけです。
それを撲滅しようと思ったら、先祖代々の墓を破壊しなければならず、
そのようなことを日本人ができるはずがないと結論しています。

日本の自然環境が蚊の発生を誘発しているのではなく、
日本の文化が蚊を発生させているとは思いもよりませんでした。
蚊の撲滅を実行すれば「父祖伝来の祭祀の詩美を破壊して
しまうことになる」とまで言われると、蚊に刺されることぐらい
我慢しなくてはいけないような気がしてきます。

仏教の教えにしたがうと、蚊は死者の化身であるとし、
ハーンは自分も死んだ暁には蚊に生まれ変わりたいと言うのだから、
彼の蚊と日本に対する愛情の深さは相当なものです。
こういう本を読むと殺生はできないなぁと思うのですが、
蚊の羽音を聴けば、やはり条件反射的に叩いています。

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2015/04/03 (Fri) 物理学者の詩『ドミトリーともきんす』を読んで

高野文子さんの新作漫画『ドミトリーともきんす』を読みました。
IMG_3059.jpg 
(『ドミトリーともきんす』高野文子・著 中央公論社)

学生寮「ともきんす」に住んでいる寮生は、近代日本の科学に貢献
した4人の科学者です。寮母のともこさん、きん子ちゃん母子
との対話を通して、彼らがそれぞれの研究において、どのように問いと
答えを導き出したかを漫画という表現で描き出されています。

寮生は、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹の四氏。
それぞれは自分たちの研究を発表する専門書だけではなく、
一般人にも分かりやすい随筆を数多く残しています。
高野さんは、それらの本をテキストに漫画で表現してくれている
ので、さらに分かりやすくなっています。近代科学は難解で、
一般人には理解できないと思っている人にはおすすめです。

この作品を読んで、特に印象的だったのは、湯川秀樹が書いた
「詩と科学 子どもたちのために」という詩です。一見、
遠い存在に思える詩人と科学者ですが、湯川氏は「どちらも
自然を見ることと聞くことからはじまる」という出発点が
同じだと言います。「バラの花をかぎ、その美しさをたたえる
気持ちと、花の形状をしらべようとする気持ちとのあいだには、
大きなへだたりはない」のです。しかし、科学は実験や数式で
理屈が多くなった為に詩から離れてしまったという点で
「科学者は詩をわすれた人」だと言います。しかし、優れた科学者
の中には「科学の奥底にふたたび自然の美を見いだすこと」
ができると説明していました。つまり、優れた科学者は詩人
でもあるということです。私はこの詩にとても共感できました。
なぜなら、近代科学は「詩」によって説明することが不可欠
になるとスエーデンの物理学者ニールス・ボーア
が語っていたという記述を読んでいたからです。
IMG_3058.jpg 
(『部分と全体』W・ハイゼンベルグ著 みすず書房)

ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルグの著作
『部分と全体』のなかで、それは語られています。
ハイゼンベルグがまだ若い学生だった頃、物理学は、卓上で実験する
ことから、思考実験に移行していました。原子の発見により、目に
見えない原子の世界を語る新しい言葉を生み出さなければいけなく
なったのです。それまで人間の歴史に存在していなかった概念を説明する
「相互理解の為の手段がない」という状況の中で、彼らは「理解」
という意味そのものについて、考え直さなければならなくなります。
当時の最新の理論、アインシュタインの相対性理論は学生だった
ハイゼンベルグたちの議論の的になっていました。そんな中、
彼らが特に問題にしていたのは物理学者同士は、数式を導き出す
ことで一定の「理解」を得ることができるが、その理論を「わかる」か
という問いに対して果たして「わかっている」と言えるのか?という
議論をしています。思い悩んだハイゼンベルグは、ボーアの講義に出席し、
彼に質問しました。ボーアは彼の質問に戸惑いがちに、しかし
丁寧に答えています。ボーアは自分たちが持ち合わせている共通言語は
古典物理学の概念だけだと説明を始めます。そのような概念では、
原子の構造をもはや説明することはできません。ですからやむなく、
現在持っている「経験のあいだの関連性を示し、慎重に手探り
で進むしかない」と言います。そして、「古典物理学の直観的な
言葉を使って出来る範囲で、原子の構造をうまく記述することを
希望していますし、まさにただそれだけを望んでいます」

「ここでは、言葉が詩の中におけると同じように
しか使えないということについて、はっきりしな
くてはなりません。詩の中の言葉は、事態を正確に
表すとことだけでなく、聴衆の意識の中に描像を
生ぜしめ、それによって、人間同志の心の結びつき
をつくり上げるのでなくてはなりません」
(p.67)

難しい量子論を詩の言葉で説明が出来れば、湯川秀樹が「詩と科学」
のなかで、語ったように「いくらでも多くの人にわけることができる」
というわけです。ボーアはハイゼンベルグとの言葉についての討論で

「言葉というものは特有のむずかしい性格を持っている。
一つの言葉が何を意味するかというこを、われわれは決して
正確には知らない。われわれが使う言葉の意味はその言葉の
文章の中における結びつきを、その文章が述べられたときの前後の
脈絡や、またわれっわれが全部を数えあげることは決してでき
ないような無数の付随的事情がからんでくる。(中略)
それは通常の言葉においてさえ当てはまることであり、
詩人の言葉において一層的確なものになる」(p216)
と語っています。理解し合える言葉で表すことができ
ないと悲観するハイゼンベルグに、なんとか把握
できるような新しい概念の形成を期待しようと言い、
「われわれは、その時こそ理解するという言葉の意味
もはじめて同時に学ぶのでしょう」と応じています。

90年以上経った現在私たちは、現代の科学者に
よる「詩人の言葉」で語られた科学に接する機会に
恵まれています。3.11以来、原子物理学を知ろうと
する一般人が増えたと思いますが、その時、この
学問を危険なものとして敬遠するのではなく、より
よく理解することができることに気づけるはずです。
それに気づいた高野文子さんは、「詩」
をよりよく分かりやすくなるように、
漫画でもって示してくれたのだと思います。

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2015/01/25 (Sun) 『吾輩は猫である』再読

『吾輩は猫である』を読んでいます。
IMG_2654.jpg 
実は、読むのはこれが三回目。しかも一度も通読したことがありません。
昨年、朝日新聞で連載されていた『こころ』を読んだので、次に
「三度目の正直」ということで『吾輩~』を読んでみようと考えました。
しかもこの小説を書いた夏目漱石が当時40代だったそうなので、
自分も同じ40代の記念(?)にちゃんと読もうと決心したわけです。
ともかく「アンドレア・デル・サルト」と「トチメンボー」地獄から
脱したいと必死に読み、ようやく前回読んだページを越えました。

アンドレア・デル・サルトは、吾輩の主人、苦沙弥(くしゃみ)先生が
趣味ではじめた水彩画がうまく描けないとぼやいているところへ
自称美学者の迷亭さんが、部屋の中で想像しながらでは画は描ける訳が
ない。画を描くならまず自然を写せと「昔し伊太利の大家アンドレア
・デル・サルトが言ったことがある」と、写生を薦めます。でも、この
はなしは迷亭さんの作り話でアンドレア・デル・サルトがそんなことを
言った記述はないのだとか。ともかくこの迷亭さんは、そうやって人を
担ぐのが趣味らしいのです。苦沙弥先生は迷亭さんのデタラメを真に
受けてまじめに写生にいそしんだところ「あれは出鱈目だよ」と笑われ
て度肝を抜きます。「いや時々冗談を言うと人が真に受けるので大いに
滑稽的美感を挑発するのは面白い」彼は外国の小説家の嘘の著作物について
の話を吹聴し、それを聴いた人が嘘とも知らず、他の人に話し、さらに
それを聴いた人が「そうそうあそこは実に名文だ」などと言っているのを
聴いて「この男も僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」と
楽しそうに苦沙弥先生に言うのです。
迷亭さんのほら吹きは、とどまる事を知らず、
西洋料理店では「トチメンボー」という謎の料理を注文し、
ボーイを困らせます。ボーイはそんな料理は
知らないのだけど、知らないとは言いたくないから、トチメンボーは
生憎切らしているのだがメンチボーなら出せると切り返します。
ちなみに「トチメンボー」の正体を明かすのはヤボなので、ここでは
伏せておきます。気になる方はぜひ、本書をお読みください。

この「アンドレア・デル・サルト」と「トチメンボー」事件は
『吾輩は~』を挫折した人なら誰でも分かる話題です。
この本を全部読みきった人は少ないそうで、大抵
この二つの話題をデジャブのように読み返すだけで、
そのうち飽きてしまい本棚の肥やしになるわけです。
まだ、読了してもいないのに、なんだか自慢しているみたいです
けど、この話題はインテリぶって、知ったかぶりすると、
ろくな目に遭わないという内容なので、偉ぶらないよう
にしようと、自戒を込めて次のページを読もうと思っています。

この先、挫折の罠がいくつ仕掛けられているか
わかったものではありません。もちろん夏目漱石は、
人が読めないようにワザと難しい内容にしているわけでは
ないのでしょうけど、ひたすら文学や美術、哲学や思想
といった、東西の教養を茶化したり面白がったりする、
まどろっこしい文章で、巻末の注釈を読まずにはいられない
のです。ページの前と後ろを行ったり来たりしているうちに、
話の本筋が分からなくなり、結局、大幅に読み返さなければ
ならず、いっこうに先に進めなくなるわけです。
自分の知識と教養のなさを恥じるか、
そもそも、そんなことを気にすること自体が、
物語に出てくる知ったかぶりして恥をかく登場人物
たちと同じになるのを理解して観念するか、
まぁ、後者の方が正しい読者の姿かもしれませんね。
とりあえず、私は自分がどこを読んでいるか
確認する為に一つの話題が終わったところで、
近くにいる家族に読んだ内容の説明をしています。

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2014/09/18 (Thu) 川端康成の小説の挿絵

秋めいてきましたね。秋と言えば読書です。

『えび新聞』を置かせてもらっている中島古書店で、
川端康成の文庫本を見つけました。というより、
加山又造の挿画本を見つけました。
『美しさと哀しみと』というタイトルのこの本は
1961(昭和36)年から1963(昭和38)年にかけて

『婦人公論』で連載された小説だそうで、おそらく
加山氏の挿絵も連載当時のものと思われます。
IMG_1559.jpg 
『美しさと哀しみと』川端康成・著 中公文庫

残念ながら解説では加山氏の挿画についてなにも触れられて

いませんが、この小説のヒロインが日本画家だという

こともあって加山氏の挿絵は彼女が描いたかのような

風景画で構成されています。挿絵だけ見て、物語の内容を

理解出来るものもありますが、この小説の挿絵のいたって

は、絵を見たところで、内容はまったく把握できません。

物語の舞台は、京都と鎌倉というふたつの古都なので、

それぞれのわかりやすい名所が挿入されてゆきます。

しかし、いわゆる名所案内的な感じではなく、まったく

人物が描かれていない風景は、主人公の哀しみ(もしく

は狂気)の心象風景として描かれているようでした。

この物語はあらすじだけすくって読むとスキャンダラスで

エキセントリックな登場人物に翻弄されてしまいそうですが、

その底辺に流れているテーマは川端康成の芸術論だと取れます。

おなじ芸術家として加山又造はそれを受け止めて挿画を

手がけたと想像できます。そう思うと、連載当時、

加山氏が原稿を受け取って、どのような制作過程を

踏んでいったのか、知りたいところでもあります。

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2014/07/16 (Wed) ドラマ『点と線』を観て、原作本を再読

先日、BS朝日で放送されたドラマ『点と線』を見ました。
このドラマは2006年に放送され、当時リアルタイムで
見ましたが、その時は松本清張の原作を読んで
いなかったので、とても新鮮でした。

(放送後、原作を読んだ時の感想はコチラ
旧ブログ『クルヴェットゥ・ジュルナル』)

 この推理小説には様々な地域の電車が登場し、
ちょっとした旅行気分も味わえますが、それもそのはず、
小説を連載していた雑誌は推理小説の雑誌ではなく、
交通公社が発行する『旅』という雑誌だったのだそうです。
 ドラマを見た後、原作本を購入し、風間完さんの挿絵を眺め
ると、旅情はさらに膨らみました。しかし実を言うと、
行った事がない場所が描かれている場面より、
なじみの場所が描かれていると興奮しました。 
電車の時刻表を使ったトリックの舞台になる東京駅。
容疑者の妻が住む鎌倉。
刑事が聞き込みに歩き回る銀座など。
自分の知っている街を昭和30年代の
姿で眺めることが楽しいのです。
 特にチンチン電車が走っていた頃の銀座には魅力を感じます。
 私の母は独身時代、銀座のブティックで働いていましたが、
彼女が勤めていた昭和42年は『点と線』連載されていた頃から
ちょうど10年後でした。この頃、チンチン電車は廃止されます。
IMG_1324.jpg
(文庫本『点と線』文春文庫と「銀座百点』)

 当時の銀座商店会の冊子『銀座百点』を見ると
「銀座のチンチン電車よ さようなら」という特集記事が
ありました。面白い事にこの記事の間のページに母が
勤めていたブティック「BELLE鈴屋」の紹介があり、
その写真に母が店員として写っているのです。
 私は街の様子が変わってゆく歴史の中に自分の母がいたと
いう事実に感動しましたが、彼女にはなんの感慨もなかった
ようで、私が指摘するまで、チンチン電車が廃止された
記事に気づいていませんでした。というより、この冊子自体
読んでいなかったそうです。若い頃というのは、大概、
そういうことには無頓着なものですから仕方がありませんね。
私は、小説に書かれた場所を巡ることとか、
したことがないのですが、これを機会に
出かけてみようかな?と思っています。

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